I4.0の中心地から、世界を変えるゲームチェンジャーへ 〜フラウンホーファーはなぜiQUAVISを選んだのか〜

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ヨーロッパ最大の日本人街のある都市、ドイツ・デュッセルドルフから北東におよそ160km。街の中心にそびえる大聖堂を横目に、パーダー川の流れる公園を抜けると、通りにはレストランや小売店が立ち並ぶ。大聖堂から聴こえてくる鐘の音を合図に、学校や職場へ向かう人、犬の散歩に出かける人など、それぞれの一日が静かに始まる。これが物語の舞台、パーダーボルンの朝だ。ごくありふれたヨーロッパの街並みだが、ここはものづくり大国であるドイツの連邦政府が、次世代のものづくりに向けた国家戦略として掲げる「インダストリー4.0」の推進地域であり、企業・研究機関が集結し、一体となって活発に活動している場所である。ここで今、欧州最大の応用研究機関であるフラウンホーファー研究機構とISIDの新たな挑戦が始まろうとしている。(執筆:中島 実優/Two Pillars GmbH)

ドイツ発、第四次産業革命

ドイツは今、「次の産業革命」を自国から起こすべく、「インダストリー4.0(第四次産業革命)」を掲げ、国を挙げて走り出している。過去の産業革命では、水力や蒸気機関(一次)、電力(二次)、電子工学や情報技術(三次)など、技術の発展・活用がものづくりのあり方を大きく変えてきた。インダストリー4.0とは、例えば、モノのインターネットといわれる「IoT」やコンピューター自身に考えさせる「AI(人工知能)」など、機械・電気電子・情報通信の各分野を横断する先進技術を、製造プロセスに最大限に応用することで、ものづくりの飛躍的な高度化を実現しようという試みだ。代表的なものは、いわゆる「スマートファクトリー」を実現するための数々の技術だ。例えば、工場のロボットに取り付けられたセンサーからラインの稼働状況や部品の消耗状態を把握し詳細に分析することで、製造ラインを最大限に効率化したり、予期せぬタイミングで部品が壊れてラインが止まってしまうのを防ぐ。また工場内に留まらず、製品が出荷され顧客の手に渡った後も、製品に付けたセンサーから稼働状況などの情報を取得し活用することが可能だ。これによって、製品を売り切り型で販売するのではなく、継続的な付加価値を伴うサービスとして提供する「サービタイゼーション(サービス化)」の潮流が生まれ、製造業の革新のひとつとして広まりつつある。こうした技術を積極的に取り入れたものづくりに、国を挙げて取り組んでいるのがドイツの「今」である。

パーダーボルンの朝市
パーダーボルンの朝市

ものづくり大国を担う「隠れたチャンピオン」

ドイツ企業のイメージを問えば、メルセデス・ベンツ、ポルシェ、ボッシュ、シーメンスなど、世界的に有名な大企業を思い浮かべる人が多いだろう。しかし実際には「大企業」の割合はかなり低く、全企業数のうち中小企業が99.5%※1を占める。日本の中小企業の割合は99.7%※2なので、一見良く似た産業構造に見える。しかしながら、貿易総額で世界第3位※3のドイツにおいて、輸出額に占める中小企業の割合が17%※4に上るのに対し、日本はわずか4%※5に留まっており、その差は歴然だ。このことからも、ドイツで中小企業が担う役割の大きさがうかがえる。

また、日本の中小企業との違いで言えば、日本では最終完成品を製造する大手メーカーがその子会社群へ部品製造を委託する、いわゆる「系列ビジネス」が脈々と続いてきたが、ドイツの中小企業は独立性が高く、他社に抜きん出た技術力を持つ会社は、同業界の大手メーカー複数社と取り引きすることが珍しくない。このように卓越した技術力を持ちながら、あまり世間に知られていないニッチな業界で大きなシェアを獲得している中小企業は「隠れたチャンピオン」と呼ばれる。そしてドイツには、日本やアメリカと比較しても、この「隠れたチャンピオン」がずば抜けて多いのだ。しかし、このような企業が多い一方で、現実主義のドイツ人は既存技術を活用した持続的イノベーションを好む傾向にある。インダストリー4.0を国家が推進する一方で、その担い手となるはずの中小企業の経営者や技術者たちは、むしろ大きな時代の変化に戸惑い、先進技術を活用した新たなものづくりへの不安を抱えている。そこでドイツでは、「隠れたチャンピオン」たる中小企業が時代の変化に取り残されないよう、産官学連携によるオープンイノベーションが活発に行われている。中小企業が他企業や研究機関と積極的に情報交換できる場を設けることで、不得意分野を克服したり、新たな技術を取り入れるきっかけを作ろうとする文化が、国全体に根ざしているのだ。

インダストリー4.0の鍵はシステムズ・エンジニアリング

実際のところ、ドイツの企業はインダストリー4.0をどう捉えているのだろうか。

「大手・中小問わず、ドイツ製造業各社では、インダストリー4.0には大きな可能性が宿っていると考えています」と話すのは、フラウンホーファー研究機構の研究所の一つ、フラウンホーファーIEM(以下IEM)で、システムズ・エンジニアリング分野の研究に携わってきたクリスチャン・ブレマーだ。「しかし多くの企業は、インダストリー4.0を自社の戦略にどう組み込むかに難しさを感じ、悩んでいます」と彼は続けた。特に中小企業は、既にデジタル化を推進してきている大企業と異なり、ITを駆使した新たなものづくりの時代にどう対処していくかを考え、行動するための知識やノウハウを持ち合わせていない。このように、「どこから始めればよいかわからない」「どのように戦略に組み込めばよいかわからない」という企業を支援するのがフラウンホーファー研究機構の大きな役割の一つである。

ここであらためて、フラウンホーファー研究機構について紹介しておこう。同機構は、高い専門性を有する72の研究所を全国に有し、2万4000人の研究員が在籍する欧州最大の応用研究機関である。年間収入のうち約3割は連邦政府からの基礎資金だが、残り7割を企業からの委託や公共財源の研究プロジェクトで稼ぐ半官半民の研究機関であることも特徴的だ。その研究所の一つであるIEMは人口約14万人の都市パーダーボルンにあり、そこはドイツ連邦政府認定のインダストリー4.0をテーマとする産官学実証事業、「It's OWL(Intelligent Technical Systems OstWestfalen-Lippe)」の活動地域でもある。IEMは、インテリジェンス、システムズ・エンジニアリング、バーチャル・プロトタイピングの三分野をコア・コンピタンスとして、新技術や手法の調査・開発、プロトタイプの作成を行い、産官学連携プロジェクトを通してそれらの新技術や手法を産業界に広める役割を担っている。

IEMのコア・コンピタンスの一つであるシステムズ・エンジニアリングとは何か。大まかに説明すると、製品やサービス全体を一つの複雑な「システム」と捉えて、それを構成するモノや情報などの関連性を明確化することで、製品の複雑さを解きほぐし、専門分野を跨いだ思考や全体俯瞰を可能にする考え方である。特に、専門分野が細分化され、全体俯瞰が難しくなりがちな複雑な製品やサービスの開発に非常に有用な考え方で、航空宇宙業界を筆頭に様々な分野での適用が進められている。モノとモノがつながり、これまでよりさらに複雑な製品・サービス設計が必要となるインダストリー4.0時代の製品設計には、複雑さを解きほぐすシステムズ・エンジニアリングのような設計手法は欠かせない。IEMでは、この考え方に沿って独自に「CONSENS(コンセンス)」というシステムズ・エンジニアリングの手法を開発し、企業での適用を進めてきた。すなわち彼らは、ドイツがインダストリー4.0を実現し発展していく上で、欠かせないキープレーヤーなのだ。しかしIEMは、CONSENSの展開にあたり大きな課題を抱えていた。

フラウンホーファーIEMのオフィス (C)Fraunhofer IEM
フラウンホーファーIEMのオフィス

顕在化した課題、 iQUAVIS との出会い

彼らはCONSENSの考え方を様々な企業に広めるため、数年前から体験型のワークショップを行っている。このワークショップでは、自転車などシンプルな製品の開発を例に、紙とペンを使い、CONSENSに則ったものづくりのプロセスを体験することができる。こうした形式のワークショップは、新しいものづくり手法への理解を深める上で一定の効果を挙げてきたものの、企業が日々の業務に取り入れるには、それだけでは不十分だ。IEMは、CONSENSを具現化するソフトウェアツールの必要性を強く感じていた。

CONSENSをツール化し、企業への定着を加速することを狙ったIEMは、研究の一環として数々のシステムズ・エンジニアリングのツールを調査しながら、CONSENSを体現できるツールを探した。様々なツールを使ってCONSENSのデモを作り、企業へ紹介してきたが、CONSENSが重視してきた「誰もがすぐにはじめられる直感性」「専門分野を超えたコミュニケーションのしやすさ」といった条件を満たすものはなかった。探し続けた末にたどり着いたのが、ISIDが開発・提供する構想設計支援ツール「iQUAVIS(アイクアビス)」であった。

ISIDとIEMとの出会いは、2016年に遡る。ISIDがiQUAVISのベンチマークをフラウンホーファー研究機構に依頼したのが事の発端だ。iQUAVISとは、ISIDがキラーソリューションと掲げ、製品開発における技術・業務情報の見える化や品質管理などを目的として、大手自動車をはじめとする多くの製造業で採用されているソフトウェアである。近年はシステムズ・エンジニアリングを支援するツールとしての活用が広がり、高く評価されてきたものの、グローバル展開する大手顧客からは、将来を見据えて世界標準への対応が強く求められていた。また、同様にシステムズ・エンジニアリングを掲げる他社製品も開発を加速する中、製品としての特長や価値を客観的に見つめ直し、方向づける為に行ったのがこのベンチマークだった。

日本企業と初の合弁会社設立へ

IEM側から合弁設立の提案を受けたのは、ベンチマークの依頼から数カ月後のことである。インダストリー4.0の推進に貢献するため、iQUAVISをCONSENSの準拠ツールと位置付けてドイツや欧州に広めたい、とのオファーが持ちかけられた。「iQUAVISがCONSENSに適したツールだと考えた理由は二つあります」とブレマーは語る。「一つはユーザビリティの高さ。ツールの使い方が難しい事が理由で革新的な開発ができないのはナンセンスです。私たちは、誰でもすぐに使い始められるツールを求めていました。もう一つは、CONSENSとの考え方やアプローチの近さです。iQUAVISはツールありきではなく、まず手法や考え方があり、それを表現するためのツールです。ここに、私たちとの大きな共通点があります」

IEMは当初、iQUAVISをCONSENSのツールとして活用し、ドイツ国内の企業に導入していくことを考えたが、当時ISIDはドイツに販売拠点がなくiQUAVISをドイツ企業に供給する手段を持っていなかった。IEMは非営利の研究機関であるため、iQUAVISの販売権を獲得して事業展開することはできない。そこで活用したのが、フラウンホーファー研究機構が独自に展開する「スピンオフ」と呼ばれる起業支援プログラムである。研究員が自ら創業経営者となって会社を立ち上げ、研究成果を事業化するために、資金はもとよりハード・ソフト様々な側面で機構が援助を行うというものだ。IEMの中心的な研究者としてデジタル・エンジニアリング&コラボレーション部門を率いてきたクリスチャン・チュアナーと先のブレマーの2名が、IEMからスピンオフしてISIDと新会社を立ち上げ、iQUAVISのドイツでの販売とシステムズ・エンジニアリング・ツールとしての機能開発を行っていくことになった。機構のスピンオフによる起業実績は350を超えるが、日本企業との合弁設立はこれが初めての事例だという。

ここから新会社設立まで約1年半にわたる交渉は、日本とドイツのお国柄の違いもあり相当な紆余曲折を経たが、ともあれ2018年6月、新会社Two Pillars GmbH(トゥーピラーズ)別ウインドウで開くが、ここパーダーボルンに誕生した。

「二本の柱」を意味する社名は、「フラウンホーファーとISID」「CONSENSとiQUAVIS」など、お互いが強みを持ち寄ってできた会社であることを示している。IEMから創業経営者として参画した両名は、ともにシステムズ・エンジニアリングの博士号を持ち、特にチュアナーはシステムズ・エンジニアリングの国際学会ドイツ支部で副代表を務めるなど業界内のネットワークも広い。日本からは、iQUAVIS開発組織の長を務めてきた吉田篤が創業経営者の一人として、そして吉田の下でiQUAVIS開発・コンサルティングに携わってきた筆者が、一番若手のメンバーとして参画することとなった。

新会社のメンバーで日々議論を重ねている
新会社のメンバーで日々議論を重ねている

おわりに

新会社は、インダストリー4.0をシステムズ・エンジニアリングの観点から支えるべく活動を開始した。ドイツを支える中小企業がものづくり革命の流れに乗るためのハードルを下げ、次の時代への船出を支援することが我々のミッションである。チュアナーはいう。「iQUAVIS は非常に優れたシステムズ・エンジニアリング・ツールです。IEMとISIDがそれぞれの知見をTwo Pillarsに持ち寄り、iQUAVISをさらに進化させることで、他の追随を許さないものになるでしょう。そして、我々が互いのビジョンを共有し、システムズ・エンジニアリング分野における両社の専門知識や経験、IEMが持つネットワークを最大限に生かしたサービスをグローバルに展開していくことで、Two Pillarsは、この市場の“ゲームチェンジャー”になれると確信しています」

一方、2017年3月に日本版インダストリー4.0といえる「Connected Industries」※6を経済産業省が発表したことからも分かるように、日本でも本格的なものづくり革命がすでに始まりつつある。日本企業がドイツ企業と同様の課題にぶち当たる日は、そう遠くない。我々は、新会社での新たな挑戦を通してドイツのものづくり革命の中心に入り込み、日本では決して得られない経験や知見を獲得するだろう。我々が持ち帰るこれらの知見と、システムズ・エンジニアリングのグローバルな標準技術基盤としての役割を担うiQUAVISが、やがて近い将来、日本のものづくり革命にも貢献できるはずだ。

2018年9月更新

Profile

中島 実優(なかじま みゅう)

2013年ISID入社。iQUAVISチームにて、製造業の設計部門のプロジェクト管理や技術情報管理・品質管理に関する業務コンサルティングに従事。2015年から海外向けのセールスやコンサルティング業務に携わり、2016年よりフラウンホーファー研究機構との合弁会社設立プロジェクトに参画。2018年6月Two Pillars GmbH出向。マーケティング&セールス、カスタマーサービスを中心業務として、欧州でのiQUAVIS拠点の立ち上げ及び販売推進活動を担当。

会社名
Two Pillars GmbH
設立
2018年6月
所在地
ドイツ・パーダーボルン (フラウンホーファーIEM 内)
代表者
クリスチャン・チュアナー、クリスチャン・ブレマー
事業内容
iQUAVIS のアドオン機能開発およびマーケティング、ライセンス販売ならびに関連するコンサルティング、トレーニング、サポートサービスおよびその他の関連アクティビティ

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