「生産者の哲学」をブロックチェーンで可視化。エシカル消費先進地フランスで実証実験 ブロックチェーン実証実験・スペシャルリポート(前編)

エッフェル塔を右手に眺めながら、セーヌ川に架かる橋を渡った先に、レストラン「ゼブラ」は建っていました。道路を挟んだ先には、国営ラジオ局のオフィス。「この店はいつもジャーナリストでにぎわっているの。そのせいか、トレンドに敏感で、新しいものを積極的に受け入れるお客さんが多いかもしれない」オーナーのナイラ・カレーック氏は、にこやかに語りました。

店の奥ではISIDのスタッフたちが、ワインをテーブルの上に並べています。そして入り口では、宮崎県でワインを生産する香月克公氏が、少し硬い表情で現地メディアのインタビューに答えていました。ISID、大阪のブロックチェーンスタートアップ「シビラ」、そして香月氏……。それぞれの領域のイノベーターたちは、この日のために準備を重ね、海を越えてパリにやってきました。パリでの私たちの挑戦を、2回に分けて紹介します。

SDGsへの関心を高める日本企業

日本企業の間でも急速に関心が高まっているSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)」。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載されている、2016年から2030年までの国際目標です。利益の最大化のために、自然環境や人々の健康を犠牲にしてきた20世紀型経営を見直し、経営方針にSDGsを取り入れる企業も増えています。
消費者の間でも、商品やサービスを選ぶ際に、社会や環境に配慮しているかを重視する「エシカル(倫理的な)消費」が、新しい消費の形として受け入れられるようになっています。

ISIDとシビラ、仏バルドワーズ県経済開発委員会(CEEVO)は2019年5月、ブロックチェーン技術によってエシカルな消費行動をSDGsに関連付けて可視化し、新しい価値基準に基づく経済圏の実現可能性を実証する実験を、パリのレストラン「ゼブラ」で実施しました。

そこで登場したのが、香月氏が経営するワイナリー「香月ワインズ」の完全無農薬のビオワインです。ワインを飲んだ消費者にブロックチェーンからSDGsトークン付与することで、エシカルな消費を動機づけること、そしてISIDのオープンイノベーションラボ(イノラボ)とシビラが共同開発した「トークンエコノミープロトコル」という仕組みを、世界で初めて社会実装することが、実証実験の目的でした。

実証実験を行ったレストラン「ゼブラ」
実証実験を行ったレストラン「ゼブラ」

有機農業先進地、宮崎県綾町の課題に共に取り組む

ISIDとシビラは香月氏のワイナリーがある宮崎県綾町と、2016年から野菜の付加価値向上に取り組んできました。

綾町は人口7,000人の小規模自治体ながら、「有機農業発祥の地」として農業関係者の間で広く知られています。1988年に全国初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定し、町を挙げて環境に配慮した農業を推進してきました。その先進的な取り組みに共感し、新規就農を志す移住者も少なくありません。

一方で、綾町は「有機農業の取り組みが、なかなか農産物価格に反映できない」(綾町職員)という課題も抱えていました。

「綾町は国の規格よりはるかに厳しい基準を設け、有機農産物を認証してきました。わが町の有機農業には50年の歴史がありますが、市場に出ると、数年の取り組みで認証を取得した『有機JAS』『オーガニック野菜』との差別化がなかなかできません。有機栽培の結果である虫食いや形の悪さも、価格にマイナスになってしまうのです」(綾町職員)

農家の努力に新しい技術で付加価値を

イノラボのプロデューサー、鈴木淳一は「安全な野菜を作る生産者の努力を、国の認証制度以外の方法で消費者に伝えて、付加価値を高められないか」と考えました。そこで目をつけたのが、管理者がおらず、改ざんをすることも不可能な非中央集権的な技術、ブロックチェーンです。
ISIDとシビラは、綾町の生産履歴をブロックチェーンに記録し、トレーサビリティーを保証した綾町の野菜を、東京の消費者に評価してもらうことにしました。

2017年3月、東京都心で開かれた朝市(マルシェ)で綾町野菜を販売。野菜がどのような土壌で育ち、いつ作付けが行われたかなどを、消費者がQRコードを読み取って確認できるようにしました。

翌2018年5月は都内のレストランで、綾町の有機野菜を用いた「エシカル(倫理的)メニュー」を提供するイベントを実施しました。生産だけでなく、輸送や調理を含むトレーサビリティーを保証し、さらには注文した客の消費履歴もブロックチェーンに記録しました。

鈴木が次に目を向けたのは、トレーサビリティーに加え、「生産者の哲学」をも伝えることで、商品の付加価値をさらに高め、エシカル消費を後押しする取り組みです。 実証実験の舞台も、世界有数の農業国であり、エシカル消費が市民により根付いているフランス・パリに移すことにしました。

2017年3月に実施したマルシェの様子 (C)Fraunhofer IEM
2017年3月に実施したマルシェの様子

日本のワインをフランスに

パリでの実証実験に向け、CEEVOの協力者と意見交換する中で、鈴木は「野菜だと空輸中に鮮度が失われ、最良の状態で提供できないかもしれない。ワインでやってみたら」と提案されました。
フランスと言えば、世界に名だたるワイン大国です。
鈴木は当初、「ワインの生産では無名に等しい日本ワインを、フランスに出すのは厳しいのではないか」と感じたものの、すぐに「ワインに精通する消費者だからこそ、価格やブランド、味だけでなく、生産哲学という要素も評価してくれるのでは」と気づきました。そして一連の動きを待っていたかのように、綾町では長年ビオワイン作りに取り組んできた香月ワインズが、ファーストワインを完成させたのでした。

夢は「ワインが中心にあるコミュニティー」

香月ワインズを営む香月氏は25歳でニュージーランドに渡り、そこで10年間ワインづくりに携わりました。
「ニュージーランドはワインの歴史が浅いのですが、当時は欧州からの評価が高まり、市場が急拡大した時期でした。ワーキングホリデーで旅行していた私は、軽い気持ちでブドウの収穫を手伝ったのが縁で、ワインの奥深さに魅了されていきました」
地元の大学で醸造学を学び、永住権を得るほどワインづくりに没頭していた香月氏。しかし、ワインが儲かるビジネスになり、周囲の山が切り崩され、羊の牧場もろともブドウ畑に姿を変えるのを目にし、仕事の意義を見出せなくなっていきました。
そんなとき、香月氏は知人の勧めで数カ月、ドイツのワイナリーを手伝いに行くことになりました。
そこで、ワインとともに生活をする家庭的なワイナリーと出会います。彼らは家庭で日常的に飲まれる安価なワインをつくり、夜は地域のワインを置いているレストランで食事を楽しんでいました。その中に「コミュニティーの中心にあるワイン」という自分の理想を発見した香月氏は、自身のふるさとである宮崎県で、同じ光景を再現したいと新たな夢を持ったのです。

1本1万円のワイン、好評でも不安抱え

香月氏は2009年に帰国し、宮崎県のワイナリーで働きながら、起業の準備を進めました。無農薬のリンゴ栽培に取り組む青森県の農家の著書を読み、無農薬のブドウでビオワインを作ろうと決意します。 肥料の代わりに焼いた炭を撒くなど土壌改良を重ね、まとまった量のブドウが収穫できたのは2017年。資金を借り入れ、畑のそばに醸造所を建設しました。 翌2018年、香月氏はようやくファーストワイン1,000本を出荷しました。ブドウ栽培や発酵に多大なコストがかかり、ワインには1本1万円の値段をつけざるを得ませんでした。 もともとワインづくりに適さない温暖な宮崎で、完全無農薬で生産したビオワインは地元で「奇跡のワイン」と呼ばれ、高値にもかかわらず短期間でほぼ完売しました。しかし香月氏は内心、大きな不安を抱えていました。 「倒産しないためにはこれがぎりぎりの価格。けれどEUと経済連携協定(EPA)が発効し、輸入ワインがさらに安くなる中で、どこまで理解されるのか……」 そんな折、綾町の職員と共に香月氏を訪ねてきたのが、イノラボの鈴木でした。 実証実験にビオワインを出したい、そう相談を受けた日のことを、「これまでは生産に集中してきたけど、今後は販売のことも考えないとと思っていたところでした」と振り返ります。 香月氏は、実証実験への協力を快諾。2018年に入り、ブドウの栽培や収穫、発酵の作業をブロックチェーンに記録していきました。そして2019年2月、赤、白、さらに古代ワインと言われるオレンジワイン計2,400本が出荷の日を迎えました。

「香月ワインズ」の完全無農薬のビオワイン
「香月ワインズ」の完全無農薬のビオワイン

2019年7月更新

(後編に続く)

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