新規事業戦略 シン・製造業に変革に向けた取り組み第7回【連載】シン・製造業#7

  • 新規事業開発

寺嶋 高光 ISIDビジネスコンサルティング代表取締役社長

 

この連載では、新しい形の製造業を「シン・製造業」と定義し、そこにアプローチするための手法を考察、実践するためのヒントを説いていきます。

第5回目では、企業のバリュー設計や組織形態の変革、意思決定プロセスの設計、社内外に向けてのブランディングなど「コーポレート戦略」について取り上げました。第6回目は、バリューを提供するためのストーリー形成、リソースのシフト、自社の強みを最大化させるためのバリューチェーンの形成など「バリューチェーン戦略」のお話しをしました。
続いて、第7回目となる今回は、「シン・製造業」になるための3つ目の要素、UXをベースにして社会にとって新しい価値の創出・提供をし続けるための「新規事業戦略」について、考えていきます。

【日本を元気づけることが出来る「シン・製造業」 4つの要素をおさらい】

(1)短期的な業績目標だけでなく、社会や人のためになる中期目標を掲げ、透明性を持って意思決定を行える企業
(2)自社の強みをベースにコアとノンコアを見極め、事業環境に応じてバリューチェーンを再構築し続けれる企業
(3)UXをベースにして社会にとって新しい価値の創出、提供をし続けられる企業
(4)デジタルテクノロジーを活用し、DXし続けられる企業

「UXをベースにして社会にとって新しい価値の創出、提供をし続けられる企業」、この状態を実現するために必要な要素は以下の4つだと考えます。

①UXを捉える仕組みの確立
②新しい価値空間の創出
③UXから得られる情報を自社の製品・サービス開発に展開
④「小さな世界」の構築

ひとつずつ解説していきましょう。

(1)UXを捉える仕組みの確立

ペルソナ、タッチポイント、カスタマージャーニーで新価値創出の土台を作る

UX とはどの様なものでしょうか。「ユーザー体験」というざっくりとした認識ではなく、UXを捉える仕組みを整える必要があります。
これをペルソナ、タッチポイント、カスタマージャーニーという3つの要素に分解して説明したいと思います。

1つ目は「ペルソナ」です。
ユーザーの体験をより具体的にデザインするため、従来は年代、性別、趣味などで行っていたターゲットの見極めを、居住地区、 家族構成、暮らしの嗜好性、お悩みごと、デジタルリテラシー等の情報を付加して、ペルソナという形でユーザーの解像度を上げて定義します。

ペルソナをたてることによってユーザー像をはっきりさせるメリットは、多様化したニーズを汲み上げる際の精度を向上させたり、優先度を決めたり、複数の関係者で共有、検討する際に論点の軸がぶれないことによる時間とコスト削減に有効な点です。

2つ目の「タッチポイント」は、企業とユーザーとの全ての接点のことを指しています。
接点にはデジタル空間上の接点とリアル空間における接点が存在し、デジタル空間上の接点には、SNSやデジタル広告、ECサイト、企業側が提供するスマホアプリ、オンラインコミュニティなどがあり、リアル空間における接点には、製品そのもの、店舗、施設、オフラインイベントなどがあります。

大事なことはこれら全てのタッチポイントにおいて、ユーザー体験が存在しており、企業はこのユーザー体験全てを理解し、企業から提供する体験価値は一貫性をもって伝達されねばならないという点です。
この仕組みをデザインするために使われるツールが3つ目の「カスタマージャーニー」です。カスタマージャーニーに記載される内容は、ユーザーと企業の関係性構築のステージ(たとえば認知・興味・関心~情報収集~共有~購入・参加~継続的利用など)、タッチポイント、タッチポイント毎のユーザーの心理・行動・その背景、課題、課題解決アプローチなどになります。
カスタマージャーニーを記載する目的は、ユーザーの心理や行動をより深く理解すること、課題や解決のためのアプローチをユーザー目線で捉えることができる様になることにあります。また、各タッチポイントでどのようなUX を提供すべきなのかという点を一つひとつ明確にしていくことでもあります。

このように、ペルソナ、タッチポイント、カスタマージャーニーに乗っ取って、UXを重視して考えることが、新しい価値を創出するための土台となります。

(2)新しい価値空間の創出

既にあるものの構造をベースに、新たな概念を焼き直す

続いて、2つ目の要素「新しい体験価値の創出」の内容に触れていきます。

まず初めに、「シン・製造業」における「価値空間」というのは、企業が製品やサービスにおいて、ユーザーや顧客に新しいUXを提供するための街中、車の中、家の中、自然の中といったあらゆる空間を意味しています。

ではこの価値空間はどのようにデザインしたら良いでしょうか。

岡田斗司夫氏がYouTube で発信している講義が参考になります。
その内容とは既に存在しているものを構造的に捉えて、その構造を持ち出し、新たな概念と組み合わせるという手法です。講義の中では、『デスノート』のストーリーで少女漫画を作るといったことを実演していました。大事なポイントは、無から価値空間をデザインするということではなく、既にあるものの構造を土台にして、新たな概念に焼き直すことを、新しいアイデアの作り方だとしている点です。

たとえば、自動運転に注目すると、Google 傘下のWaymo、 Tesla、 中国新興メーカーの技術と、日本は熾烈な競争を行っています。であるならば、この領域でまともに勝負するのではなく、日本的な別の方法論で挑むといったことも考えられます。第1回目でもお話ししましたが、たとえば、「日本らしい気遣いと譲り合いに富んだ運転マナーを実装した自動運転」というような考え方です。
あるいは、自動運転という枠組みではなく、自動で旅行の思い出を記録してくれる機能などはどうでしょう。日本の観光名所や美術館めぐりのプランであったり、旅行をしながらクルマが外の景色を自動で撮ってくれる、同乗者の笑顔も自動で撮ってくれる、旅が終わったらアルバムや動画ストリーミングにしてスマホに送ってくれるとか、日本らしいのではないのかなと思ったりします。

(3)UXで得た情報を自社の製品・サービス開発に展開

センシング技術の発展でUXから得られる情報が広がっている

新しい価値空間と新たなユーザー体験が構築できたことを前提に、3つ目の要素である、「UXから得られる情報を自社のバリューに基づき、製品・サービス開発に展開できること」の説明に入ります。

「UX から得られる情報」とは、ユーザーの反応や心理、行動であり、これを自社のバリューに基づき、製品・サービス開発に活かすためには、獲得した情報を自社のナレッジとしてモデル化、定量化する必要があります。
UXの獲得方法としては、グループインタビュー、デプス調査、Web 調査、SNS 分析、β100(濱口秀司氏が提唱するユーザーのリアル体験の観察手法)というもの等があります。

加えて昨今では、センシング技術の発展により、人間の感性をデジタル情報として取得する方法もあります。たとえば、人間が音を聞いた時や、映像・画像等を見た時に、これをどのように感じたかを、脳波や心拍、眼球の動きや発声する言葉などから定量的に測ろうとする取組みです。

この様な手法で

「乗り心地のいいクルマとは?」
「気持ちの良い音とは?」
「認知機能の衰えを抑制する方法はあるだろうか?」
「健康維持のためにはどんな運動がどんな人にとって効果的なのか?」 など、非常に多岐に渡る領域で、研究、実証実験、社会実装が行われています。

これらの取り組みを一過性のもので終わらせるのでなく、自社の確固たる強みとして形成していくためには、第5回、6回、そして今回説明してきた一連のプロセスを定常的に行い、継続的に進化をさせていく役割の情報処理基盤が欠かせません。この情報基盤はMLOPs(Machine Learning Operations) 等と呼ばれています。クルマの自動運転技術などはこの様なテクノロジーの塊です。

(4)「小さな世界」の構築

経済合理性曲線の外側にシン・事業を創出するということ

ここからは、4つ目の要素として、新しい事業やサービスを生み出し続けるためのアプローチについて解説します。

第6回目の『「シン・製造業」に変革するために必要な「バリューチェーン戦略」』で説明したように、自社の強みに基づきバリューチェーンを再構築していくことで、既存市場の一部を守っていくことはできると思います。
ですが、国内の人口減少や、欧米、中国、韓国などが市場を奪いにきていることを踏まえて俯瞰視すると、国内事業の規模の縮小は避けられないでしょう。

そこで自社をさらに成長させるために「シン・製造業」にとって求められるのが、「UXをベースにして社会にとって新しい価値を創出、提供し続けられる企業」になること=「新事業・サービスを生み出し続ける」ことです。
この新事業・サービスは既存の経済合理性曲線の外側において(第1回目「今、日本の製造業で何が起きているのか?」参照)、社会や人が抱えている新たな課題を解決していくものとして、小さく生み出し、段階的に複数をつなげながら現状の経済合理性曲線の枠を外側に広げて行く市場の創造をイメージしています。顧客の一人ひとりが、企業が提案する新たな価値に支出を上乗せするようなイメージです。

このような経済合理性曲線の外側の空間に創出する新事業のことを本稿では「小さな世界」と表現します。

ここでは、「小さな世界」の構築を成功させた例として、Apple が手がけたApple Watch のお話しをしたいと思います。

Apple Watch は、2015年4月に初代が登場しました。登場時は、ガジェットマニアや Apple のファンが飛びついたものの端末ビジネスという観点でみると先行きに不安を感じる船出でした。 実際、登場から2年を経過した2017年時点でも出荷台数は1万3000台にすぎませんでした(IDCのレポートから)。ただし、この数字には、Apple製イヤフォンのAirPods も含まれているので、Apple Watchの台数はさらに減ります。
しかし、Apple Watch はその後、アクティビティの記録といったフィットネス系の機能や、ヘルスケアの心拍数モニタリング機能などを強化していきました。2018年には、米食品医薬品局(FDA)の「医療機器としてのソフトウエアの在り方」に関するガイドラインへ対応し心電図アプリの認可を受けたり、近年は血中酸素濃度センサーを搭載するなど、ヘルスケアの分野でも大きな存在感を示すようになりました。
このように、Apple Watch は、単なる端末ビジネスを超えた領域で、ユーザーの健康に関する課題を解決するための価値を提供するようになりました。
そして今、急激にユーザーを増やしています。香港に拠点を置く調査会社 Counterpoint Reserach のアナリストは、Apple Watchのユーザー数は1億人を超えたと発言しています。

話を「小さな世界」に戻しましょう。Apple Watchは、発売当初は、時計というネーミングで、さも経済合理性曲線の内側にある製品の顔をして、市場に投入されました。
仮にApple が旧態依然としたものづくりの考え方から抜け出せない企業であれば、Apple Watchが提供する価値はそこで完結し、ガジェットとしての機能追加とデザインの更新に終止することになるでしょう。ブランド力があるので、そこそこのセールスは記録するでしょうが、結局はマニアにしか支持されない端末に終わる可能性があったと思います。

しかし、従来の時計の価値としては考えられなかったフィットネス、ヘルスケア、臨床研究といったシン・事業(経済合理曲線の外側)を次々と産みだすことで、Apple WatchのUXをベースにしながら、社会にとって新しい価値を創出し提供することに成功したのです。

ここまで、「UXをベースにして社会にとって新しい価値を創出、提供し続けられる企業」となるための4つの要素それぞれが持つ、意味やコンテンツについてのお話しをました。
次回は、第5~7回目で示した、「シン・製造業」に変革するための3つの戦略を持続的に実施するために必要不可欠な要素、「DX戦略」についてお話しします。

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