大手町、木曜18時。—FinTechを目撃せよFINOLABスペシャルリポート #1

FinTech— 金融とテクノロジーを掛け合わせた造語、という説明はもはや必要ないかもしれない。それほどこの言葉が、日本でも急速に広がりを見せている。
ただ、それが具体的に何を指すのか、明確に理解している人はまだそう多くないだろう。知っているけれど、実像が掴めないもの。これが日本のFinTechの現状だ。
しかし今、その姿を具現化する試みが東京・大手町で始まった。三菱地所、電通、ISIDのコラボレーションでこの地に誕生した、FinTechのスタートアップを生み出し育てる集積拠点—FINOLABである。2016年2月の開設からわずか半年余りですでに30社を超えるスタートアップが入居し、国内外から視察に訪れる金融機関や大手企業、ベンチャーキャピタル等の数は延べ300を下らない。2017年には同じ大手町エリアでの拡張移転が計画されている。

無から有へ、0から1へ。FINOLABという「場」を通じ、姿を現しつつあるFinTech。ここで今、何が起こっているのか。その最前線をリポートする。

頬にあたる風が冷たくなりはじめた、ある木曜日の午後6時過ぎ。皇居にほど近い高層ビルの14階に辿り着くと、広々としたフロアに招き入れられた。その一角にある、都心を一望できる景色の良いオープンスペースに、ジーンズやポロシャツ姿の若者、ネクタイにスーツ姿の者、また外国人も次々と集まってくる。中央のテーブルにはピザやカレー、ビールなどが所狭しと並べられ、今にもパーティーが始まりそうだ。

なぜこの日が取材日として指定されたのか、ようやくその理由が分かった。毎週木曜日の夕方には、ここでFINOLAB主催のFinTech交流会“Beer Bust(ビア・バスト)”が開かれるのだ。ビア・バストにはFINOLABに参画するスタートアップ企業の経営者や社員、また法律やIT、金融などの専門家が参加し、誰とでもカジュアルに意見交換することができる。初めて参加した筆者もさっそく手書きのネームカードを付け、その輪に加わるよう促される。

何人かと挨拶を交わしてから、しばらく周囲を眺めていると、ここがただの社交場ではないことに気付く。ここでは皆思い思いに時間を過ごしているし、アルコールも手伝って終始和やかな雰囲気だ。だが時を追うにつれ、壁のホワイトボードに何かを書き込みながら議論を始めるグループが出てきたり、かと思えばそのすぐ横ではTシャツ姿 の若者が弁護士バッジを付けた男性と何やら真剣な面持ちで話し込んでいたりする。もちろん、初対面らしく挨拶を交わし談笑する人もいる。この場に流れる濃淡入り交じった独特の空気に、軽い目眩すら覚える。

横川率いるアルパカは、FinTechスタートアップの登竜門といわれるピッチコンテストFIBC※で2016年に大賞を受賞し、FinTech界隈でいま最も注目される企業の一つだ。

アルパカのユニークな金融サービスについては、すでに多くのメディアが取り上げているが、簡単に触れておこう。彼らが開発した Capitalico(キャピタリコ:現在は名称をAlpacaAlgoに変更)は、ディープラーニング(深層学習)を活用したトレーディングツールだ。数ある投資ツールとの決定的な違いは、最先端のテクノロジーを駆使した高度な投資アルゴリズムを、モバイル端末をたった数回タップするだけで自在に作成できる点にある。横川は、起業のきっかけをこう語る。
「僕はもともと金融機関出身で、為替のデイトレーディングにどっぷりはまった時期もあります。でもエンジニアではないので、トレードアイデアを思いついても自分でプログラミングすることができず、ずいぶん歯がゆい思いをした。その経験をもとに、こういうツールがあればいいなという機能を詰め込んだのがキャピタリコです」

アルパカを米国で起業した横川は、FIBC大賞受賞者としてFINOLABへの入居権を手にし、ここに日本の拠点を構えることとなる。授賞式で、審査員は彼らのサービスを評して“キラーテクノロジー”と最大限の賛辞を贈り、同時に次のような興味深いコメントを添えた。「今後のサービス展開に際しては、ライセンス等の観点で課題もあると思いますが、そうした困難を克服して素晴らしいサービスを提供されることを期待します」
まさにこの言葉に、FINOLABという場の果たすべき役割の一端が表れている。

  • Financial Innovation Business Conference(金融イノベーションビジネスカンファレンス)の略。ISIDが2012年から主催するFinTech領域に特化したピッチコンテスト。

ビール片手に起業相談

─時計の針も午後7時半を回り、気付くとテーブルの皿がほとんど空になっている。「若者が多いから、お酒よりも食べ物がすぐに無くなっちゃうんですよ」と、にこやかに話しかけてきたのは、金融情報を扱うメディアを運営する金融機関出身の経営者だ。彼も、ここFINOLABのシェアスペースに1席を持ち、週に数回は訪れるという。本社は都内の別の場所に構えているという彼に、なぜわざわざここに入居したのか尋ねると、答えるともなしに、テーブルの反対側に目をやった。「今夜はラッキーですよ。ちょっと聞きたいことがあったから。」視線の先にいるのは、先ほどからTシャツ姿の若者と話し込んでいる男性。実はこの世界では知る人ぞ知る、筆者も既知の弁護士、増島雅和だ。

増島の様子を横目で窺いながら、その経営者はこう続けた。「金融に関係する事業を始めるのに、FINOLABほど親切な場所はないでしょうね。私たちが事業を始める前はFinTechという言葉すらなく、金融関係の法律に強い弁護士を探し出すことから始めざるを得ませんでした。自分たちの目指すビジネスモデルを整理し、弁護士とともに当局に相談に行きましたが、今振り返れば立ち上げまでには相当時間がかかりました。当時FINOLABがあればもっと早く事業をスタートできたのに、と思います」
オフィス、ファシリティ、人脈、そして成長に必要な知識や助言を得る機会─FinTechビジネスに必要なすべてがここに揃っている、と彼は言う。

FINOLABがスタートアップの集まる単なるシェアオフィスと決定的に異なるのは、FINOVATORS(フィノベーターズ)と呼ばれるメンターたちの存在だ。フィノベーターズは、法律、資金調達、ICT、金融などの専門家が有志で立ち上げた社団法人で、ここFINOLABに本拠を置き、それぞれの専門分野で入居者をサポートする役割を担う。増島はその代表理事を務める、いわばサポート隊長だ。ここではフィノベーターズを交えた様々な交流イベントやワークショップが催されるほか、ビア・バストのある木曜には誰かしら必ず来ているというから、なるほど畏まってアポイントをとらなくても、ビール片手に気軽に相談ができる。

アイデアと技術だけで、金融では成功できない

「しばらくぶりですね。こんなところでお会いするとは」
若者との長い会話を終えた増島が、筆者に気付いて近づいてくる。多忙な彼に、この場で話が聞けるとは好都合だ。彼に話しかけるタイミングを見計らっていた先ほどの経営者が、仕方無さそうに首をすくめ、身振りでお先にどうぞと譲ってくれる。増島は、国内大手法律事務所に所属する弁護士で、それ以前は米国シリコンバレーでベンチャーに強い法律事務所に籍を置き、また金融庁で金融機関の監督に携わった経験もある。スタートアップ企業の視点を持ちつつ、彼らに必要な法的アドバイスができる稀有な存在だ。

「私は法律家としては比較的多くの周辺領域を渡り歩き、イノベーション推進寄りの立場で仕事をしています。それらの経験を踏まえて言えば、FinTechスタートアップにとって金融業の許認可はハードルが高いといわざるを得ません。当局の許認可の判断基準は利用者に安定してサービスを提供できることであり、事業者の財務的な健全性と、サービスが適切に提供されるための体制整備を求めるからです」

いくら革新的なアイデアや技術があっても、それだけでは金融の世界ではまず成功できない。規制や法律などと上手に関わりながら継続的に事業を展開することが、FinTechに取り組む以上は必要不可欠というわけだ。

それにしても、それほどハードルが高い金融の世界は、そもそもスタートアップにとって事業機会が乏しい分野なのだろうか。増島の答えは「そうではない」と明快だ。
「インターネットでは非金融業で取り扱われる大量のデータがやり取りされています。これらのデータを取り扱うスタートアップ企業が既存の金融業と組めば、まったく新しいサービスを生み出すことが可能です。これまでの日本では大手金融機関がスタートアップと接点を持つこと自体、珍しかったと思いますが、FINOLABが既存の金融業とスタートアップとの接点ともいえるプラットフォームになれば、一つの大きな役割を果たしたといえるのではないでしょうか」

大手と組む壁が、ここでは低くなる

増島との会話を終えて一息ついていると、「ここに来たらぜひ会った方がいいと思って、お願いしておきました。今日は忙しいみたいなので、少しだけですが」と声をかけられ、フロアの反対側にある個室ゾーンの扉まで案内された。現れたのは、どこかで見覚えのある髭の青年だ。FINOLABを起点に、既存金融業との共同プロジェクトを展開する代表的な存在だという。

株式会社Liquid(リキッド)という社名を聞いて思い出した。生体認証だけで本人を特定する独自のサービスを展開するスタートアップだ。イオン銀行と共同で、店頭手続きやATM利用の際にカードを使わず指紋だけ、つまり手ぶらで本人かどうかを認証する実証実験を始め、メディアでも大きく取り上げられたことは記憶に新しい。代表取締役の久田康弘とは初対面だが、どうりで見覚えがある、と合点した。

久田に、どんな経緯で彼らの技術が大手金融機関に採用されたのかを尋ねると、「相手は銀行ですからね、あまり詳しいことは話せません」と断りつつ、次のように語った。「生体認証におけるID特定行為を商用で行っている企業は、世界でもまだうちだけでしょう。歴史のある大企業は、新しいことを取り入れるにあたって慎重になりがちです。特に僕らのようなスタートアップと組むには、おそらく色々な障壁があるんだと思います。でもFINOLABに参画することで、その壁がかなり低くなる。金融業界のシステムに強いISIDから様々なサポートを受けられるし、何よりも金融機関や開発ディベロッパー大手との距離がぐっと近くなったと感じます」

リキッドの取り組みはATMや決済における生体認証からスタートしているが、例えば観光地や商店街における地域通貨や、施設の入館管理など、その応用の可能性は必ずしも金融領域だけにとどまらないという。またそもそも既存の金融機関や規制があまり存在しない、新興国でのニーズもあるらしい。

そう聞いて思い出したのが、FINOLABのロールモデルのような存在である英国・ロンドンのFinTechハブ「Level39」だ。そこには金融はもとより、サイバーセキュリティやスマートシティに関わるテクノロジー企業が集う。それは取りも直さず、あらゆる産業や社会の動脈を支える金融の世界で起きる革新は、やがて金融にとどまらず様々な産業に拡がっていくのだ、ということを示唆している。だとすれば、今まさに日本で産声をあげたFinTechは、金融業界に閉じたイノベーションではなく、いずれこの国の産業全体を巻き込むことになる。世界ではすでに現実となりつつあるその変化に、いまどれだけの人が気付いているだろうか。

世に出る“実弾”をどれだけ生み出すか

─ 密度の濃い対話が続き、すっかり時が経つのを忘れてしまうが、ビア・バストもそろそろお開きのようだ。参加者同士がうまくコミュニケーションをとれているか、終始目配りしながら談笑していた女性が、それとなく片付けの指示を出している。この日の取材をすべてアレンジしてくれた、FINOLABの仕掛人であり運営責任者、ISIDの伊藤千恵だ。お礼の言葉をかけながら、FINOLABの次なる展開を聞いた。「いいタイミングですね。ちょうど先日、ようやく正式に決まったんですよ。FINOLABの引越し先が」

思わぬ言葉に息を飲む。聞けば、もともと取り壊しが決まっていたビルを使って、期間限定で実験的にスタートしたのがFINOLABなのだ、と伊藤は笑う。「そうじゃなかったら、この大手町の一等地に、こんな海のものとも山のものとも知れない場所、いきなりつくれません。でもおかげさまで、これまで金融機関で50社以上、それ以外の視察も含めると延べ300社以上が訪れてくれました。いや、もっと多いかも・・・・・・。メガバンクはもちろん、全国津々浦々の地方銀行の方にも、日本のFinTechで何が行われているのか、どんなスタートアップがいるのかを肌で感じてもらい、そうした企業と入居するスタートアップとの共同プロジェクトも、すでにいくつもスタートしています。金融庁や経産省などからの紹介で来る海外からの視察も多くて、これは想定外でした。でも『日本のFinTechを見たい』と思ったら、他に行くところがないんですよね」

引越し先を聞いて二度驚く。大手町ビルと言えば、名だたる企業が拠点を置くこれまた歴史ある建物だ。今度はもちろん期間限定ではなく、収容キャパシティも拡張されるという。「FINOLABのセカンドフェーズは、もともと私たちの計画にはありました。でも最初に成果が出せないと周りを説得できないでしょう。有望なスタートアップが本当にここに集まってくるのか、金融機関が興味を持ってくれるのか、正直不安でしたよ。蓋を開けてみたら予想を大きく超える反響で、胸を撫でおろす暇もないくらい、毎日てんてこ舞いですけど。来た人にFinTechが何なのかを知ってもらう。体感してもらう。この半年余りで、そういうハブとしての役割は、十二分に果たしたと思います」
では、セカンドフェーズでは何が起きるのだろうか。「大手町ビルでFINOLABが新たに開業するのは2017年2月。そこで目指すのは、どれだけ“実弾”を増やせるか、これに尽きます。つまり、スタートアップと金融機関や企業との共同プロジェクトから、実際に世の中に出ていくサービスをどれだけ生み出せるか。ここに可能な限り注力していくことがセカンドフェーズのミッションです。それには、もっともっと金融機関や企業を巻き込んでいかないといけません。まだまだやるべきことがたくさんあります」

熱のこもった話に聞き入るうちに、時計は午後9時を回っていた。伊藤に見送られてエントランスまで来ると、よれよれのシャツにサンダル履きという出で立ちで、ブロックチェーンについて語り合う者たちがいる。熱気は冷めない。まさに今、ここで何かが始まり、生まれようとしていることは疑いようもない。振り向きざまに見上げた窓から漏れる光の向こうに、FinTechという得体の知れない何者かの輪郭が、はっきりと見えた気がした。

2016年12月更新

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ここFINOLABには時折、珍しい客人が訪れる。
多忙な日々の合間を縫ってやってきた二人のスペシャリストに、日本のFinTechの現在と未来を訊いた。

(第2回に続く)